| 昨2005年以来の「メイド」ブームのお蔭で、「メイド」を
扱った様々な書籍が近年登場していますが、この手の秋葉原系ともいうべき「メイド」本を扱った元祖ともいうべき書物は、2003年12月30日初版発行の『ご
奉仕大好き! メイド本 〜エプロンドレスで尽くします〜』(日本出版社)だ
と思われます。この日本共産党系の出版社と紛らわしい名前を持つ出版
社は、いわゆる「オタク」趣味の業界ではそれほどメジャーなところではないように思われますが(注1)、かえって身軽さゆえに敏速にこのような企画を通す
ことができたのかもしれません。 さて、ではこの本の出来はどうかというと、率直に言えばあまり面白くない、 というのが筆者の感想です。この本が歴史上の maid-servant に全く触れていないこと自体は、コンセプトの相違ということで納得できます。しかし、秋葉原的「オタク」文化の文脈でメイドを語るのならば、1990年代 末の「メイド」という属性の普及に大きな貢献をした、いわゆる18禁ゲームの類を全く捨象しているのは解せません。フルカラーで気合の入っているアニメ紹 介ページは、どう考えても「メイド」属性からみて周辺的なものに過ぎないようなものにまで過大な労力を割いているようにしか見えません。その労力のいくら かなりとも、マンガ紹介ページ(モノクロでアニメ紹介ページの五分の一し かない)に回すべきであったと思われます。東京大学メイド研究会のコンテンツは、 どう扱ってよいのか編集部自体分かっていないのではないかとの疑惑を拭い去ることができません(そこが面白くはありますが)。要するに編集に定見がなく見 当外れな印象を受けざるを得ない、ということです。 とまあ、批判ばかりしてきましたが、一方評価に値するコンテンツとして、この頃からメイドコスプレ喫茶が流行し始めますが、その紹介を力を入れてしてい ること(商業ベースはこれが最初ではないかと思います)、何より今回の主たるお題である大塚のメイド喫茶 Cafe-Brigitte の開業に至るドキュメント記事があり、これは本書で随一の興味深い記 事であるといえましょう。Cafe-Brigitte(以後煩瑣を避けるため単に「ブ リジット」と表記します)の開業は本書『メイド本』発行の約半年前の2003年5月11日でした。前述のように、本書発行の日付は奥付によ ると同年12月30日になっています。しかし皮肉にも、この奥付の日の二日前、ブリジットは閉店してしまったのでした。 僅か半年余りしか存続しなかったブリジットですが、現在の「メイド」ブーム、コスプレ喫茶やその他サーヴィス業の流行を見るにつけ、同店はもしかすると先駆者として大きな存在であった のかもしれない、そんな気もします。そこで、「げんいけん」こと現代文化遺跡研究会の第2回の題材としてブリジットを選 び、併せて最近「乙女ロー ド」などと言われて注目される池袋附近の状況も見て回ることにしました。 今回、2006年4月某日の豊島界隈探訪には、「墨耽キ譚」で いつもお世話になっている畏友たんび氏が奇特にもご同 道くださることになりました。何が 奇特 といって、氏はブリジットを営業時代に訪れたことがないのであります。 いつの頃からか、池袋は秋葉原に次ぐオタク関連商業の集積地とされ るようになり、ことに女性向けのそれが多いことで知られるようになりました。もっとも それ以前からサンシャインで即売会が開かれることは多かったので、オタクにとってもともと馴染みのある街だったとは言えるでしょう。 この傾向のせいか、最近は池袋界隈に複数のメイドコスプレ喫茶が立地し、さらには執事喫茶なるものまで開業しています。しかし、古株のメイド・制服好き にしてみれば、池袋といえばサンシャインの喫茶店・ロシナンテが 思い出されるのです。折角池袋に来たのだし、まずはブリジットより先にロシナンテの跡地を 訪れてみることにしました。 ロシナンテに行ったのはもう随分と前のこと、前世紀の終わりのことでした。サンシャインの地下に制服がメイドさんみたいな喫茶店があると聞き、筆者は渡 辺プロデューサーやたんび氏、猫一号氏らと共に訪れたものです。 制服は黒のブラウスに白いエプロンと、まさにメイドさんそのものでしたが、何より感心したのはカチューシャをつけているという ことでした。黒や紺の服に 白のエプロンという仕着せは当時でもしばしば見られたものでしたが、頭に三角巾ではなくカチューシャをつけているというのはなかなかに珍しく、他にはEARLやグランアルティザン(注2)くらいのも の で した。おぼろげ な記憶を頼りに比べると、ロシナンテのスカートはEARLのようにタイトではなく、そ こがEARLより魅力的に感じました。長さはそれほど長いわけではなかったように思いますが、実用性と時代状況を考えればそれは当然でしょう。 ロシナンテの制服は二種類あったように思いますが、エプロンが違ったりリボンがついたりなどの差異があったように思います。どちらも制服も、お店の雰囲 気と相俟っ て落ち着いた魅力を持っていたと、わずかに記憶しています。 しかしこのロシナンテは、2000年3月に閉店してしまいました。その跡地は、現在は違う喫茶店になっています。
ロシナンテの跡地 現在も雰囲気は違うが喫茶店
ロシナンテに行った時、筆者はコーヒーを頼んだところ、サイフォンで淹れていたらしく、フラスコに入ったコーヒーがやってきました。筆者がロシナンテと いって一番印象に残っているのは、このサイフォンのコーヒーでし た。いろいろ周囲を観察するのに気を取られ、筆者はうっかりコーヒーを零してしまい、店員 さんにテーブルや床を拭いてもらう仕儀と相成りました。その当時の筆者はまだ(比較的)まともな人間でしたから、そのような事態となったことが恥ずかしく てた まらず、自分の服にコーヒーはかかっていないと言い張り、こっそり自分で始末をつけました。この掃除をしてくれた店員さんの恰好がスカートではなく、蝶ネ クタイをつけ、ズボンというかスパッツ? をはいていて、ヅカ或いは「男装の麗人」という感 じで、不思議な魅力がありました。 あれから6年、「メイド」喫茶を巡る状況が驚くべき変化を遂げましたが、筆者もいくらか歳を取ったようで、中高年により近い倣岸さを持つようになったの かもしれないと思うと、心にちくちくと突き刺さるものがあります。 ロシナンテの創業がいつだったのかは良く分かりません。ただ、ネットで調べると、1988年に存在していたことは確かです。少なくとも12年以上は存続していたわけで、それなりにお客さんはついていたのであろうと 思います。後継のお店はロシナンテ閉店後入った店そのままのようですので、5年半は続いてい ることになります。この有為変転極まりない時代に結構な話ですが、基本的にはやはりサンシャインの地下という立地が良いのであろうと思いま す。 それだけに閉店の理由が気になります。後継のお店の店員さんはパンツスタイルだったと思いますが、或いはもはやメイド調の制服のウェイトレスがいる純喫 茶店、というロシナンテのやり方は時代にそぐわなくなっていたのかもしれません。だとすれば、ロシナンテが閉店してからいわゆる「メイド喫茶」が流行りだ したのには、それ相応の理由があるということなのでしょう。 サンシャインを出てブリジット跡地に向かう途中、評判の――森永卓郎氏も訪問して記 事を書いています――メイド喫茶、Wonder Parlour に立ち寄って一服します。この探訪は同店が普段定休日の曜日のことでしたが、幸運にもたまたまこの週だけ開いていたので 訪れる ことができました。 時間が中途半端だった上に変則的な開業日であるからか、かなり空いていました。それに対応してかウェイトレスさんも一人だけでした。『エマ』を意識した のかどうなのか、眼鏡をかけていました。接客態度はおおむね評判どおりというか、過剰なサーヴィスをしないのは結構なことです。たんび氏は「ウェイトレス はお辞儀をする時、心の中で3秒数えているに違いない」と主張しておられました。ちなみにお辞儀の時間について、戦前の文部省制定の礼法によれば、最敬礼の際は「凡そ一息」頭 を下げるものとされています。それはともかく、お茶も結構なお手前でし た。 店内はヴィクトリア朝の雰囲気を出そうと種々の工夫をしています。様 々なイギリスの小物を一角に集めているのが目を惹きます。もっとも、19世紀末の文 化状況に鑑みれば、案外、浮世絵を張ってみたり、扇子を並べてみたり、或いは中国の陶器を置いて見るのも悪くないかもしれません。ごたまぜに隙間なく詰め 込 む、というのがヴィクトリア朝の特徴と言えるでしょうし、東洋趣味はごたまぜ感を演出するのにもってこいです。森薫『エマ』3巻のミセス・トロロープ登場 の場面のように。 ひとつこのお店で気になっていることといえば、上掲の森永氏の記事に引用されている経営理念です(なぜか現在 Wonder Parlour のサイトでは見つけられません)。 メイド喫茶開業の精神なるほど。 ところで、筆者がいつかMaIDERiA出版局サイトの書評コーナーで取り上げたいと思っている本に、ピーター・コンラッド『ヴィ クトリア朝の宝部屋』という本があります。ヴィクトリア朝の芸術の持っている、全体の調和より細部の充 実を好んだという性格を詳細に解説した本で、ヴィクトリア朝とは何かということを知る上で非常に面白い本です。この本の一節に、こうあるので す。 ヴィクトリア朝の室内の充溢は、労働のため の散文的で醜い環境と、夢と快楽に捧げられた家庭という安楽とくつろぎ のための避難所とのあいだにある、断絶 に由来する。(中略)室内は公的世界から私生活を守るための砦なのだ。ヴィクトリア朝の部屋に様々な小物があるのは、まさに「癒し」のためだったのです。 とは即ち、ヴィクトリア朝は「効率化された社会システム」が人々に 「孤独感」――疎外感という方がより適切な気もしますが――を与えるという現代社会 の源流であったということなのではないかと思います。さて、現代日本で の疎外感の対処法に、ヴィクトリア朝の真似をするというのは果たして賢明な方法と言えるのでしょうか? お店を出るときウェイトレスさんがお見送りをしてくれ、しかし名古屋系(注 3)の ような余計な演出をしないところは好印象でした。 場所がいわゆる「乙女ロード」に近いせいか、女性客が割と多いような印象を受けました。とすれば、Wonder Parlour の方針は(歴史的云々の話は慮外にして)、男性向けの媚びた演出でない点で女性客を受け入れやすく、場所柄を考えると経済合理性の面で有意義なものである ようにも思われます。 職安通りと呼ばれるこの界隈、その名に相応しい「池袋ロッヂ」などというドヤもあったりしますが、何故か教会だとかPL教団やら、宗教関連の建物も見受 けられます。Wonder Parlour の向かいもなにやら東洋的な名前のそれらしき団体の建物が立っています。 我々が Wonder Parlour を出たその時、折りしもその団体の建物の前、つまり Wonder Parlour の向かいにライトバンが止まり、開け放された荷台に透明な液体(水にしか見えない)を詰めたポリタンクが山積みにされているのが見えました。如何にも健康 や癒しを謳った「水商売」ら しい雰囲気です。 山手線を越えてブリジット跡地に向かいます。 我々――とは、たんび氏や渡辺プロデューサーなど高校の同窓であった面子は、飲み会をするときに、学生が少なくて空いているという理由だけで大塚を選 び、「呑むなら大塚」という妙な習慣が確立していました。その習慣は ブリジット開業以前に始まり、閉店後の今も続いています。大塚には妙に馴染みができてしまいました。(注4) ブリジットは坂道の中腹にありました。その坂道を下りきったところに小さな公園があり、桜の木が植えられています。公園の前には薬局があったのですが、 見ればシャッターが降ろされ、今年3月一杯で閉店したという張紙が張ってありました。大塚は景気が悪いのでしょうか。 ブリジット跡地の前に立ってみて、薬局が閉店した理由が分かりました。ブリジット在りし日、威容を誇っていた癌研病院は移転し、跡地は取り払われて更地 になっていたのです。
癌研病院の移転先は有明でした。考えてみればこの病院の建設工事の影響で、コミケットの入場の列の作り方などが変更を強いられたわけで、「オタク」業界 とも全く無縁ではなかったということになります。
病院が引っ越してしまえば、薬局が閉店するのもまた道理です。 さて、道路の反対側に目を転じれば、癌研病院側の変貌ぶりに比べて、往時とほとんど変っていないように見受けられます。ブリジットが入っていたビルもそ のままでした。
跡地はなにやら事務所として使用されているようです。半地下にあるお店は特に変ってはいないようでした。しかし、これからは病院移転の影響が出てくるか もしれません。 筆者とたんび氏は坂の下の公園に戻り、コンビニで酒とつまみを仕入れ、散り残った公園の桜を見ながら、焼酎のH2O割りという危険な飲み物(非常に飲み 口が爽やかなので、大量に飲んでしまいあとで後悔する羽目になる)をまだ日があるというのに呑み始 めます。如何にもダメ人間。
この組み合わせはかなり危険です
呑みつつ往時のブリジットを回想します。筆者は酒井シ ズエ氏と同道したりして、数度ブリジットを訪れました。当時はまだこの手の店はそれほど多くなく、 追いかけるのがさほど大変ではない時期でしたけれど、やはり場所が場所だけにそう多くは行けなかったのです。 ブリジットについての感想は、お店としてはなかなかいいけれど、いかんせん立地が悪い、これに尽きるで しょう。 90分2000円という独特の料金体系 も、風俗店みたいという感想もないわけではありませんが、その後の「メイド」商売の展開を考えればやはり先駆者と呼ぶに値するように思われます。(注5)
閉
店直後の2004年1月編集長氏撮影
以上のようなブリジット評は、他にもネット上で見受けられ、やはり筆 者も基本的に同意します。しかし同じことを書いても詰まらないので、筆者がブリジットのもっとも際立った特徴で、料金体系やイベントなどと異なり、他の 「メイド喫茶」に必ずしも継承されなかったように思われる点について、考えてみたいと思います。 その筆者が注目する点とは何か、先述の『メイド本』のブリジット開 業ルポ(p.85)から、少々長くなりますが、引用してみましょう。 そして、いよいよウェイトレスの募集をす ることになっ た。アルバイト誌などで告知もしたが、理想の人材は現れてくれない。斎藤(引用者注:ブリジット経 営者)が頭の中で描いていたメイドのイメージ「清純、若い、かわいい、まじめ」をすべて兼ね備えてる女の子はなかなか居なかったのだ。そんなとき、大学時 代のサークルの仲間で、中国人留学生の友人から電話がきた。(中略)というわけで、ブリジットの「メイドさん」の特徴は、外国人労働者を雇用したことに あります。 先述の Wonder Parlour の経営理念であるとか、或いは最近読売新聞の「オタク」に詳しい記者が書いたという記事などでも伺えるのですが、「メイ ド」を冠する商売が増えた昨今、何 を以って「メイドらしさ」とするのか様々な見解が述べられています。そして彼らの多くは歴史上のメイドに「メイドらしさ」を求めたりするのですが、それは 結局自己の願望を歴史に投影しただけのように思われることが少なくありません。 ブリジットが中国・台湾の女性を雇用したのは、筆者は人件費という要素を無視できないのではと思いますけど、一応それは置いておいて『メイド本』の記述 に従えば、彼女たちが「メイドの条件」を持っていたのだからだといいます。その条件が妥当かどうかはさておいても、現実に家事使用人を雇用する場合、外国 人であるとか或いは地方出身者を雇うということは「正しい」と言えます。イギリスの場合も、内国植民地であるアイルランド出身の使用人は少なくなかった し、フランスでは女中といえばブルターニュ出身、というステロタイプがあったといいます。その理念はどうあれ、ブリジットがやっていたことは現実のメイド さんを雇うことに最も近かったのかもしれません。 実際、もし日本とフィリピンの間にFTAが締結され、労働力の移動が自由化されれば、看護士などと共に家事使用人も日本にやってくることになるでしょ う。 もっとも、このブリジット方式をその後真似た「メイド喫茶」はあまり聞かないことからすれば(筆者が知らないだけかも知れませんが)、このように歴史 的・経済的に「正しい」メイド像は、日本で「メイド」について語る人々の求める「メイドらしさ」とはまた別物なのであろうと思われるのですが。 などということを、公園で酒を飲みながらとりとめもなく話します。この公園で酒を飲むのも初めてではありません。ある四月、やはりこの公園で夜桜を見な がら皆で呑んだものでした。ブリジット閉店直後の正月の新年会も大塚で開き、ブリジット来訪経験者も複数いたもので、閉店後の様子を尋ねに行きました。
閉
店直後の2004年1月編集長氏撮影
右がたんび氏、左が墨公委と思われる 一見ただ営業時間外のように見え、"CLOSED"の文字の上には"sorry come again"と書いてありますが、もはや二度と来ることは叶わないのでした。 思い返せば、ブリジットには他に特徴として、VIPルームとい うのがあり、42インチプラズマ ディスプレイのある部屋を貸し切って使えるというシステム がありました。ブリジットに数度行き、足の悪さはともかくとして、お店自体に好感を抱いていた筆者他数人は、ひとつこのVIPルームを使って何か面白いイ ベントができないかと考えたのです。いっそやるならなるべくネタになる、思いつく限りの脱力するような、そんな企画をやりたい。そして、遂に素晴らしいア イディアが生まれたのでした。 それはたんび氏のご提案で、 映画評論家にしてB級迷画『シ ベリア超特急』愛称「シベ超」シリーズの監督・脚本・製作・主演を務 める水野晴郎氏をお招きして「シベ超」祭をや ろうというアイディ アでした。我々は水野氏の招 聘にかかる費用(どうもそんなに高くはないようです)やブリジット貸切費用を算定、同志を8名程度集められればこのイベントは実現可能であるという結論 に達し、その程度の同志を募ることもまたさほど困難ではないだろうという見通しも得ることができました。メイドと「シベ超」のコラボレーション。 ネタ企画 としては上々のアイディアでした。 では、なぜここまで見積もりをしたにもかかわらず、この企画は実行されなかったのでしょうか。それは、企画会議中に某氏がふっと余計な口を滑らしてし まったためだったのです。 「なあ、水野晴郎って制服好きなんだよね?」 「うん、警察マニアであることは有名だし、制服をコレクションしているとか」 「だとするとさ、その水野先生をメイド喫茶に呼んだらさ、制服好きのマイク水野先生、自分でメイド服を着たりしそうじゃない?」 「晴郎メイド・・・可能性は否定できん・・・」 その場にいた一同の脳裏を、メイド服に身を包んだ水野晴郎先生の姿が よぎりました。 そして、この企画が我々の間で口にされることは、二度とありませんでした。 晴郎メイドは、絶対に、いかん。 我々の愚行はともかく、ブリジットは様々な可能性を備えたお店だったように思いますが、それを実現する前に立地の悪さに足をすくわれてしまいました。し かし、閉店から2年余りを経て「メイド」商売の興隆を見るにつけ、ブリジットの着眼点自体は相当正鵠を射ていたのであろうと思います。 新しいビジネスモデルで、考えた当人は失敗して後追いした連中が成功するというのはまま見られることです。結果的に失敗したとはいえ、このブリジットを 若くして企画経営された方々に筆者は心より敬意を表します。あとはただ、日本社会が敗者の復活に寛容であることを望むのみですが、残念ながら昨今の世相を 見るにつけ、いやもっと前からでしょうけど、あまり多くを期待することは難しいようにも思われます。しかし、またいつかその理念を再び存分に発揮されて活 躍されることを祈って止みません。
ブリジット跡地最寄の公園の散った桜
今年は散ってしまいましたが、来年はまた咲くでしょう 2006.4.30. 墨東公安委員会 |
| 注1:先日お亡くなりのビブロス発行『オ
タクエリート』創刊号掲載の、「第1回オタク検定試験」合格者が推薦したという触れ込みの「優良企業150社一覧」には掲載されていませんでし
た。この出版社はアップル・コミックスという成年コミックのほか、軍事マニアおなじみの小林源文作品を多く出しています。まあ、「優良企業150社一覧」
に成年コミックを得意とする出版社として掲載されていたのはコアマガジンにオークラ出版くらいのようで、そもそもあまりこの業界に力点を置いた紹介ではな
いようですが。「オタク」を「世界に誇る文化」として売り出そうとするとエロは排除されるのでしょう。この分野なくして語れないはずなのに。 注2:名古屋駅前の名鉄百貨店にあった洋菓子店で、喫茶コーナーも(確か)ありまし た。このお店 もメイド調の制服としてその名を知られ、筆者も今世紀初め数年、名鉄のローカル線探訪や名古屋に居住していたたんび氏宅訪問などの名古屋詣での折々に足を 運びました。しかし現在では閉店してしまったそうです。名鉄のローカル線もほとんど廃止されたし、たんび氏も東京に戻ってきたし、筆者が名古屋に行くこと は当分なさそうです。 ちなみに余談ですが、フランス語を履修した筆者の友人が以前「Grand Artisan の発音は『グランタルティザン』になるはずでは?」という 疑義を寄せていました。店にカタカナで「グランアルティザン」と書いてあったのは事実ですが、ナポレオン時代の「大陸軍」が「グランダルメ」なん だから確かに・・・ 注3:「お帰りなさいませご主人様」「行っ てらっしゃいませご主人様」ですな。これ は名古屋のメイド喫茶が始めたもの らしいので、 筆者は勝手にこう呼んでいます。 注4:大塚のさ〇ら水産で「メニュー全部注 文」という阿呆な飲み会をやったなあ・・・結論は6人だと苦しいが7人なら大丈夫、 というところです。もっとも阿呆といっても、マクドナルド全メニュー制覇と かサイゼリア全メニュー制覇と いった偉業に比べれば物の数にも入りませんが。 注5:最近開店して評判のシャッツキステというお店も、30分500円という料金 体系だそうです。ただブリジットの場合、いきなり90分という区切りの料金体系であったことは、病院関係の人などの立ち寄りを難しくした(非オタク層を入 りにくくした)ということは言えるのかもしれません。 |