| 事の次第を思い起こせば、それはアメリカ独立宣言から224年を経た7月4日の午前3時を聊か
回った頃、筆者とたんび
氏はICQで例によって例の如き交信を交わしていた。たんび氏の進路決定に関してなど比較的にまっとうに交わされていた会話のさなかに、たんび氏が切り出
したのだ、「明後日、神戸屋に行ってみるというのは如何なものでしょうか。適当な場所にあるなら行ってみたいものですが」と。この史実は是非とも強調して
おかねばならぬ。大体たんび氏と筆者を両方知る人間であれば、かくのごとき提案をするのは筆者に違いないと思う可能性が高いのであって、見るからに教養あ
る好青年たるたんび氏と筆者とでは、明らかに社会への適応度に差異が見出せるのである。無論氏とてただ者ではなく、暗刻を必ず裏ドラにするという福永法源
なぞ足元にも及ばぬ天行力の使い手であることなど、氏の秘められた一面のほんの一端を表すに過ぎぬ。ただ、たんび氏にはそういう面を切り札として取ってお
くだけの奥行きがあるということだ。マニア性という一枚のカードしか持たぬ筆者には到底取り得ぬ手法である。が、それはまあいい。
我々――たんび氏のみならずこのサイトの主たる渡辺氏などを含めての話だが――が通例会合拠点とし
ているのは池袋であ
る。しかしその近辺には神戸屋は存在しない。かつて北豊島郡目白村の字・池袋であったこの地にも文明開化の波は夙に押し寄せ、プチブル文化の瀰漫を見るよ
うにはなったが、やはり中央線以南の地との南北格差は厳然として存在している。嘘だと思うものは地図上に神戸屋レストランの所在地をプロットしてみるがよ
い。暇な方はついでにアンミラと馬車道も記入してみるとある種の感慨を覚えるかもしれない。 渡辺氏の当サイトを長年にわたり御覧になっている方ならば、昨年夏に我々がサンシャイン地下の「ロ シナンテ」という喫 茶店を探訪している事をどこか記憶の隅にとどめておいでかもしれない――もっとも、渡辺氏が多忙に紛れて探訪までの過程は述べているのに肝心の喫茶店の事 は述べていないのだが。ロシナンテは喫茶店としての良さもさることながら、店員はかなりレベルの高いメイド仕着せスタイルであり、筆者としても好印象を 持ったものである。どれくらい印象を受けたかといえば、うっかりコーヒーを零した筆者はメイドさんを呼び付ける勇気がなくて自分のハンカチでこそこそと始 末し、さあらぬ体を装っていたくらいである。しかしこの敬愛すべき喫茶店も再訪の機会を得ぬまま本年3月一杯をもって閉店となってしまった。跡地の新規開 業は延び延びになったようで、ようやく7月上旬という情報を入手するに及び、跡地調査断行が決定されたのだった。 時は7月6日の16時頃であったか、かくして我々は旧巣鴨プリズンの今だ工事中である一角に佇んで いた。ロシナンテ跡 地再開発完成までにはまだしばしの時間を必要としていたらしい。「7月上旬」という語の解釈に些か我々と当局との間に齟齬があったようであるが、無論かか る齟齬など日常茶飯であり、直ちに渋谷に向けて転進するに至ったのである。 我々は池袋から渋谷行き都営バスに乗り込んだ。池袋から渋谷への移動にバスを使うなどおよそ常識的 とは言い難い手段で はあるが、程よく時間を潰せるという効果はある。たんび氏は都のバスにかなりの程度通暁しておられ、筆者も鉄道趣味専業といいつつも紀伊半島を路線バス (定期観光バスや高速バスの類ではない)で縦断するなどという荒行をこなした身である。あれは「探偵!ナイトスクープ」のパラダイスに取り上げても良さそ うな旅 であった。間違ってもテレビ東京の紀行番組には仕立て上げられそうもない。 池袋から渋谷へ1時間ほどのコースである。バスの最後尾にでんと腰を据えた我々の一列前にうら若き 女性二人連れが着席 した。日に灼かれ果てた畳表の藺草の如き色調に皮膚を焼き、きつねうどんの揚げを思わせる色の頭髪をした二名である。車内にて彼女らが取った行動は即ち化 粧であり、これは社会の良識的な価値観を所有していると自惚れる階層が、いわゆるコギャルと総称される集団を批判することで自らの自惚れをさらに強化する 恰好のシチュエーションであったといえるだろう。我々には、彼女らの斜め前に座るナチスドイツがパリに入城した頃生まれたであろう女性が、この様を見て上 記の如き心理に陥る様が手に取るように分かったのだが、その頃バスが学習院女子大学の前をゆるゆると通過していたのは何かの符合と運命論者は感じ取るかも しれない。 話を戻す。 渋滞に時折巻き込まれつつも、バスは渋谷駅西口に到着する。乗客の大部分が降りる。前席の二名もま
た夜の修羅場に繰り出すのであろう。我々もまた降りる。 空腹を感じた我々はいつもの如くモスバーガーにて腹ごしらえをした後、三省堂書店を覗いた。加門七
海や北村薫など買い漁るたんび氏を横目に、筆者はボライソー・シリーズを揃えながらホーンブロワー・シリーズを揃えない偏った品揃えに内心憤慨していた。 日が傾き、幾分かは涼しげな風も吹きはじめた。我々は駒沢をさして歩きはじめた。渋谷から神戸屋駒
沢店まで高々6キロ
餘1時間少々で着くだろう。なにも奇特な行動をしているつもりはない。筆者のお茶の水予備校浪人生時代、たんび氏はその予備校でバイトをしていたが、し
ばしば
我々は渋谷まで歩いたものである。よい気分転換であった。ちなみにその頃はもう一人連れがいて、彼もまた渡辺氏やたんび氏、筆者同様の高校の同級生にして
珍談奇譚頗る多き男なれど、それはまた別の話である。 駒沢通りを西進してオリンピック公園を抜けたところには、レストランが三軒並んでいる。東からサンマルク、
アンナミラーズ、そして神戸屋レストラン。三軒茶屋に対抗して三軒ファミレスともで名づけたい状況ではある。サンマルクではなくてブロンズパロットとか
EARLとかロシナンテとかだったら、「三軒制服」としてその名を全国に轟かせたであろう。それでも、おそらく日本一神戸屋とアンミラを梯子しやすい立地
ではある筈だ。 閑話休題、我々は遂に神戸屋レストラン駒沢公園店に辿り着いたのである。 待つことしばし、注文の品がやってくる。たんび氏はショートケーキ、筆者は・・・名前は失念したが、ともかくオレンジをベースに各種
果物やカスタードク
リームを取り合わせたものであった。そう、名前など些末事はどうでもいいではないか。美味しかったんだから。ついでに価格もリーズナブルと言ってよかろ
う。 さいわい神戸屋のウエイトレスたちは客の話の内容を傍受する習慣がないのか、このような我々に対しても頻繁にお冷やのお代わりをして
くれたことは誠に喜
ばしきことであった。左様、筆者はウエイトレス観察に当たって古典を渉猟し「よそながらに見る」という発見を成し遂げていたことこそ、この成功の要因に他
ならぬであろう。これこそかの兼好法師が『徒然草』の中で述べていた哲理であり、教養なき輩はしつこくあくどく対象を追い、一方想像力を持つ教養人は極め
て
あっさりしているのだ。そう、見ようとして見るのではない。自然に見えるのである。兼好法師の徒然草は江戸時代の文人に愛され、いわば日本のマニア文化の
源流を作ったといえよう。それについていけない体育会系熱血知識人の本居宣長が国学なんぞ作るから、世の中窮屈なのである。な〜んて古典を無理矢理現在に
結び付けて伝統を作ってしまうことこそ、かのホブズボームが「伝統の創造」と喝破した行いに他ならないのであり、なんでここでホブズボームが出てくるかと
いえば、彼の著『極端な時代』1巻の口絵写真のメイドさんは、これがまたえらく装飾が多くなかなかいい感じであるということが云いたいである。 1分後、我々はアンナミラーズ駒沢店でくつろいでいた。やはり探訪2回目以降と1回目の差は大きい。この店は渡辺氏の誕生祝以来4ヶ
月ぶ
りであるが、ア
ンミラ全店舗で言えば3月10日に渋谷で友人連と映画を見た後以来であった。この時の面子がまた、たんび氏と筆者に加え、西洋史に通暁し書籍にもこだわる
好青
年ながらウォーゲームをやると中立侵犯がプレイの基本というM氏に、岩男潤子を神と崇める鉄道・軍事・アニメ・ゲームオタクA氏とかなりきていたのだが、
渋谷で映画を見た後興奮覚めやらぬ4人はアンミラに直行したのであった。そう、アンミラ渋谷店。かの2・18事変で筆者が敗走を余儀なくされた因縁の店である。そして4人でコーヒー37杯を飲むという暴挙に出たの
であるが、肝心のかつて我々のモラールを崩壊させたウエイトレス女史が不在だったのは遺憾であった。 アンミラ駒沢店に話を戻す。何せ閉店1時間前だけに、客もいなければウエイトレスも一人しかいない。ピンクのタイプである。神戸屋の
ウエイトレスはみな
さん綺麗であったが、ただ店の方針か皆短髪にしていた。一方このアンミラのウエイトレスは、ポニーテールにして同色のリボンで結んでいた。それは実にいい
感じで、無造作に留めてあるところがかえって良いのである。これぞ兼好法師の境地、あのバスの中の二人には分からないであろうけれど。その親しみやすい雰
囲気のウエイトレスさんにコーヒーとチョコレートパイを頼む。たんび氏はブルーベリーパイであった。前回はここでチョコレート切れという事態が起こった
が、今回は無事にまろやかかつとろけるようなチョコレートパイを賞味できたのである。 それからブックオフを襲撃するなどの事件もあるのだが、もういい加減終わりにしよう。そもそもこれは制服に纏わるレポートとなってい
るのだろうか。大体
肝心の神戸屋の制服の描写がない。しかし筆者の拙い文章が述べるよりずっと素晴らしいイラストはネット上にいくらでもあるし、機会があれば御自身で確かめ
られたい。蛇足ながら筆者の私見を述べれば、スカートは短きが故に尊からず、その質感を以って貴しとなす、ということである。 『世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、おほくは虚言なり』
(世間に語り伝わることは、真実ではつまらないのか、多くは嘘である)
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